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編集者を起点にライター&翻訳者へ
英語は、どうやって身に付けられたのですか。
かれこれ30年以上をかけて、「なんでこんなにできないんだ」と悩んだり、恥をかいたりしながら、少しずつ、少しずつ習得してきました。
元々、まったく海外とは縁のない極端に和風な家庭に育ちましたが、小学生の頃、兄の影響で洋楽(ビートルズやクイーンなど)が好きになって英語に興味を持つようになりました。とにかく歌詞の意味を直接実感したくて、ラジオ講座『基礎英語』を聞き始めました。また、いわゆる本の虫の文学少女でしたので、欧米の文学も片っ端から読んでいました。
当時は、今のように子どもの英語教室なども当たり前にありませんし、外国人と生まれて初めて話したのも高校の先生だったというほど、国際的とはほど遠い環境でした。
その後、どちらかというと日本のミュージシャン(佐野元春や大貫妙子など)や源氏物語などの古典文学が好きになっていて英語への興味を一時失っていたものの、高校生の夏休みに2週間ほどの英会話集中コースに行ってみて、英語を学ぶことで新しい世界が広がりそうな可能性に気がつき、英文科に進学することにしました。
留学もされていますね。
大学3年の夏休みに、アメリカのジャクソンビル大学の英語コースに通ったのが初の海外体験で、帰国後、1年間のオレゴン大学への交換留学プログラムに参加することを決めました。
当時、英語力がそれほどあったわけではなく、留学に向けて少しずつ地道に勉強していた程度です。TOEFLでも550点位だったと思います。留学後も、1年も時間を費やしたのに自分はこの程度なのか、と落ち込んでいました。それが帰国後しばらくしてTOEICを受けてみたところ885点が取れて、この時やっと英語力が伸びたことを実感できました。
留学中から大学卒業までの間にバックパッカーになって20カ国以上訪れたりするなどしていました。それまで生まれた場所からほとんど旅行もしていなかったのに、今まで想像もつかなかったような風景を見て、様々な国の人と話ができるなど、英語のおかげで驚異的に世界が広がることの魅力の虜になっていた気がします。
英語が世界を広げてくれたわけですね。
最初の会社(IBM)に入ったのも、当時はまだ珍しかった女性を積極的に登用する会社であり、TOEICで高得点を取っていれば海外出張ができると聞いていて、英語を使って勉強だけではなくてビジネスをしてみたい、さらに知らない世界を見てみたいと考えたからです。
外資系の会社なのに当時はかなり日本風な組織で、英語力の高い人もたまたま同じ部門にあまりいなかったため、「彼女は帰国子女だからできて当然」と噂されているのを耳にして、まったく事実とは異なるし、実際にはまだまだ英語力は怪しいものだったので、点数1つで過大評価されることが非常に不思議でした。
その後、約2年間、ニューヨークでのローカリゼーション・プロジェクトに参加することになりました(現在の夫と初めて会ったのもこのプロジェクトです)。この間、仕事自体で英語を使うのも大変でしたが、非常に政治的に複雑なプロジェクトで、ぼーっとしていると足元をすくわれるため、とにかく日々サバイバルに必死で、英語ができないなどと言ってはいられない、という状態で、おそらくこの間に身についたことは多かったのだろうと思います。
帰国して2年ほどは英語とまったく関わりのないプロジェクトに入り、後に出版社に転職してからも、仕事で英語を使う機会はまったくありませんでした。少し気になってTOEICを受けたら815点まで落ちていて、自分の英語はもうだめかなとも思っていました。
じつに多くの国々で生活してこられています。
現在の夫とは長らく遠距離恋愛で、大好きだった編集の仕事か結婚か随分悩んだ末に、退職してノルウェーにいる夫の元に行くことにして約1年をオスロで過ごし、その後イギリス(約1年)、スイスのチューリッヒ(約1年)、再びイギリス(約4年)の計7年間をヨーロッパで過ごし、その間に3人の子どもを出産しています。
英語力で言えば、特にイギリスに滞在している間に、日々の生活がほぼ9割近く英語一色になり、その間に生活から自然に身についたものが大きいと感じています。イギリスで久しぶりにTOEICを受けてみたところ950点に伸びていて、その後はそれで安心してもう受験していませんが、年齢を重ねても、未だに少しずつ英語力は生活と仕事の中で日々伸びている気がします。
また、実際のところ翻訳の仕事を多く行うようになって、語彙が飛躍的に増えた部分もあります。
ただ、英語自体が自分よりできる人はこの世にいくらでもいるので、他の能力と合わせた総合力が自分の強みだと自覚しています。
翻訳者になろうとしたのは。
独身の頃は仕事中毒で、自分が仕事をしていない姿を想像することなどできなかったのに、結婚でヨーロッパにわたって最初の妊娠、出産を経て、知人も少なく家にこもることも多く、自分が自分でなくなってしまったようで焦りを感じていましたし、とにかく仕事がしたくてしょうがない、このままでいたら一生、何の仕事もできなくなるのではという恐怖感もありました。
チューリッヒにいた頃に最初の子が1歳になり、「日本語の文章力には自信があり、英語も一応できる。コンピューターの知識もある(当時はコンピューター系の仕事が巷に溢れていました)。かつてはローカライゼーションのプロジェクトも切り盛りしていたわけだし、遠隔地で子育てをしながら翻訳ならできるのではないか」と考え、業界のリサーチを始め、少しずつですが仕事をする機会も作りました。
その後、イギリスに戻り、2人目の子を出産し半年ほど過ぎて近所の保育園に週数回預けられるようになってから、本格的に翻訳業で頑張ろうと決意しました。
とにかく3人の子どもを育てながら、身よりも人脈もない海外で、しかも頻繁に引っ越さなければならない中で、自分が持っているスキルを生かしてできる仕事をと、条件面から翻訳が浮かんだというのが始まりです。
フリーの翻訳者として、何年になりますか。
最初にフリーとして仕事をしたのは約10年前です。
そのうち、途中でフルタイムの編集者に2年間戻りましたので、実際に仕事をしているのは約8年間です。
どのような分野を取り扱っていますか。
分野はかなり変化していて、最初の頃はシステムズエンジニア経験を生かしたコンピューター(ソフトウェア)を専門にしていました。
その後、ビジネス系がメインになり、現在は高級ブランドや旅行関係など、自分がライターとして原稿を書く分野と重なってきました。
これまでに手掛けられた翻訳は。
雑誌・新聞記事、広告(インタビュー、旅行、イベントリポートなど)、ビジネス資料(アニュアルレポートなど)、ウェブサイト(旅行、時計、スポーツ、化粧品)、カタログ(時計、スポーツ、化粧品など)、プレスリリース(ファッション、スポーツ、ビジネス、テクニカルなど全般)、マニュアル(ソフトウェア、家電製品など)などです。
その他にも、教育関係の資料、プレゼンテーション、レストランメニューなど多種多様です。
翻訳の品質を維持するために、どのような工夫を。
テレビ、音楽、映画、インターネット、雑誌などで、常に生きた英語に触れていることが非常に仕事に役だっているので、それは趣味も兼ねてですが意識して続けています。
また、日本語の文章力には自信があるのですが、それと同じレベルの訳文をかきたいと思っていても、油断するといかにも翻訳調になってしまうため、とにかくチェックになるべく時間と回数をかけて、自然な訳文になるまでブラッシュアップできるように努力しています。
仕事と家庭の両立面から、どうしても費やせる時間が限られるため、効率よく時間を使うことを常に心がけています。また、仕事もなぜか一時期に集中するので、複数の仕事を同時に受けてもそれぞれの質が落ちないように気を配っています。
ここ数年、英訳の仕事も増えました。最初は正直なところ、おそるおそる引き受けていましたが、とにかく辞書をよくひいて、用例をインターネットで丁寧に調べることで、だんだん力がついてきたと思います。
特に前置詞の使い分けによって表現されるニュアンスなどは、英訳を始めてから理解ができるようになり、和訳をする時の読解力がこれによって上がったことにも気がつきました。
また、事実の列挙よりも文章の魅力が問われるような英訳の場合は、ベテランの米人ライターさんにリライトをお願いしています。その過程で学ぶことも非常に貴重な内容ばかりです。などと言っていると、「仕事しながら学ぶな」とクライアントに怒られそうな気もしますが、日々、学ぶことばかりなのも翻訳の仕事の魅力だと思います。
最近、受注が増えている翻訳はありますか。
高級時計、ジュエリーなどの英日翻訳が増えています。
これは、雰囲気重視の面と、非常に精密な技術面とが入り交じっているため、一体感を持たせながらも正確に訳す点が難しいですが、非常にやり甲斐もあります。
翻訳のどのような点が面白いですか。
複雑な言語ゲームで遊んでいるように感じて快感になることがあり、そうなっている時は良い結果が生まれます。
また、複数の可能性の中から、著者が意図していた一本の線を見つけて、それを的確に表現できたと感じる時や初めから著者が日本語で書いたような訳文が書けた時などですね。
また、クライアントやコーディネーターから「読みやすかった」と褒められた時は、何年やっていても嬉しいものですね。
自分の得意分野はもちろん楽しいのですが、まったく未知の業界で想像もしていなかったような内容や情報を目にする機会も大変貴重で、オフィスにこもったままなのに世界が広がる面があります。
翻訳の元原稿を読んで目からウロコが落ちることもあり、人生の教訓を得たりすることもあります。
今後、どのような翻訳を手がけてみたいですか。
先日、あるアーティストの展覧会での作品紹介を手がけて、詩を訳しているような感覚で閃きを何度も感じました。感性が生きる分野の仕事ももっとやってみたいと思うようになりました。
執筆と重なる分野の翻訳は効率も良く、自分にとって楽だし、結果も良いということが最近よく分かってきたので、執筆をよく手がけるけれどもあまり翻訳をやっていない食関係の内容を、もっとやってみるといいのではと思うようになりました。
じっくりと腰を据えて本一冊を訳すなど、長期的な仕事もしてみたいです。最近読んだ香港育ちの英国人ジャーナリストの自伝が非常に面白く、日本語になっていないようなので売り込んだりしてみたいと思っています。
翻訳者&ライターの前は編集者でしたね。
雑誌の編集者でした。海外でのライター稼業であれば、その土地に関する知識や人脈が必須であり前提であるため、未知の引っ越し先でライターとしての仕事を軌道に乗せるまでに最低でも半年ほどかかりますし、それも容易なことではありません。
そして、また引っ越せば、それまでの努力も実績も、ほとんどすべてがリセットされてしまいます。その間でも、翻訳は所在地に関係なく、途切れることなく受注できるために非常に心強い支えになってきました。
日本に帰国した際に2年間フルタイムの編集者に戻っており、その間は完全に翻訳を廃業したつもりになっていましたが、香港に来た際に再開し、かつてのクライアントにも再度連絡を取り、今も仕事が続いています。
翻訳業は、ライフスタイルや人生の局面に合わせて柔軟に続けられる点は本当に素晴らしい仕事だと思います。
編集者の前はSEだったとか。
28歳のときに女性誌の編集部へ転職しました。未経験だったこともあり、SEとしても経験を積んでいたので、無謀だと随分周囲からも言われ、自分でもそう思って非常に悩みました。
実は、SEと編集者はまったく違う職種に思えても、複数のスタッフが集まって1つのものを作り上げるというプロセスには共通点が多いのです。ただ、いくらSEとして寝食を忘れるほど頑張っても、成果物であるソフトウェアというものにどうしても愛情を感じることができませんでした。それだったら、本当に自分の好きなもの=活字媒体を作り上げる仕事がしたいと考えるようになりました。
勝手に「自分は文章力があってセンスもあるはずだ」と思っていたものの、何ら実績があるわけでもないので確信が持てなかったし、何の人脈もなく業界知識も皆無だったので、編集者になりたい人のための講座というものに通ってみました。そこで手作りの稚拙な雑誌記事を必死に作ってみて、その結果に自分も満足したし、大手雑誌の元編集長だった講師の方に「これなら現場で使い物になる」と太鼓判を押していただいたのが励みになりました。
年齢がすでに高かったのに未経験者なので、「正面から応募してもダメだけれども、かといって未経験者歓迎の会社で修行している時間もないだろうから、最初から大手を狙った方がいい。思い切って好きな雑誌の編集長に直接手紙を書いてみたら? 結構、そういうのが嬉しいと思うものだよ。
バイトでも何でも最初の一歩さえ切り開けば、後は本人の実力次第なんだから」というアドバイスを受けて、一ヶ月かけて熱意に満ちあふれた恐ろしく暑苦しい手紙を書いてある雑誌の編集長に送付しました。
結局、その雑誌の編集者として外注扱いですが採用していただけることになりました。(その後、同じアドバイスをしても実際に実行した人はほとんどいなかったと言われました)。
しかし、年収も当初は半分になりましたし、新しい仕事に慣れるまでは、再び初心者になってしまって手足をもがれたようで精神的にとても辛かった時期でした。とんでもない無茶をしたと思いますが、あの頃の思い込みと熱意と行動力には、今の自分はとても敵わないと自分のことながら頭が下がりますし、今にしてみれば、十分若かったんだなーと思います。ただ、実際に仕事を始めてみて、今も言語に関わる仕事が自分にとっての天職だと感じるので、あの時本能に従って方向転換を強行して良かったと思っています。
ライター業を始められて、どのくらいですか。
日本での編集者時代も、ほぼすべての担当記事を自分で執筆していたため、執筆を仕事にするようになってからは15年近く経っています。
海外でフリーライターとして本格的に仕事をし始めたのは、翻訳と同じイギリスで、翻訳とほぼ同時期に始めています。
日本からの仕事は常に細々と一定量ありましたが、本格的に現地でのライター稼業ができるようになったのは、あるメールマガジンの執筆者に応募したのがきっかけでした。経歴と執筆サンプルを見た担当者が、同じ出版社が創刊予定にしていた情報誌の仕事をしてはどうかと推薦して下さいました。
ライターになるために、どのような準備をされましたか。
基本的な文章力については、子どもの頃からの膨大な読書量のおかげだと思っています。とにかく毎年200~300冊は読んでいましたし、自分の年齢を超えたものにしか興味がなかったため、中学生の頃には大学の文学部で教材になるような作品はだいたい読み終わっていました。
ライターとして記事を書くための文章力は、編集者時代に先輩に徹底的にしごかれたり、連日徹夜で大量の原稿をこなしたりしながら身についた部分が大きいと思います。日本の出版社の厳しい環境を生き抜いた(?)というのは、海外でライターを始めていてはあり得ないものなので、自分の財産になる経験だったと思っています。
また、イギリスから日本に戻って、再び編集部に入れたことは本当にラッキーでした。とにかく何もかもがアナログからデジタルに変わっていたため、新しい編集のやり方に慣れることができたこと、それから海外であまり書いた原稿を細かく見てもらえる機会がないまま「上手ですね」と褒められていい気になって書き流していたので、改めて日本基準で徹底的に絞られて、落ち込みましたが目が覚めました。それがなければ、原稿がどんどん独りよがりになっていって、いつの間にかキャリアもフェードアウトしていたかもしれません。
どのような記事を書かれてきましたか。
学研や日経ホーム(現在、日経BP)では編集者をしていましたが、退職してからも、出版社から、年に数回程度、継続して発注していただいています。最近では英語関係の仕事(日英・英日訳、テープ起こしなど)もいただくようになりました。
イギリスに在住していたころは、現地の日系媒体(新聞、雑誌など)の記事執筆・広告作成などを請け負っていました。子どもが産まれる前は、イタリアのガイドブックなども現地を1人で回って書いたりしていました。
香港に来てからは、香港政府観光局の媒体や現地の日系媒体の記事執筆・広告作成、ガイドブックなどを手がけています。
また、ぴあの『マカオぴあ』という媒体に創刊から参画しており、一時は年間に80日もマカオに行っていましたので、マカオの現状にはかなり詳しくなりました。その他にも昨年はガイドブック『わがままあるき香港・マカオ』のマカオ編を担当しています。歴史ものに目覚めたのもマカオの記事執筆がきっかけです。
香港ではどのような記事を書いていますか。
香港の出版事情は、いかがですか。
香港では、主に観光客を対象としたホテル、レストラン、歴史遺産、サービスなどに関する紹介記事を書いています。
香港に来て3年目ですが、その間に随分、日系のクライアントが撤退してしまったり、香港の観光業のメインターゲットが日本人から中国本土の人達に変わってしまったこともあり、日本人の海外旅行熱が冷めてきていることも加わってかなり減ってしまっています。
ただ、国としての経済状況自体は悪くありません。香港人や中国本土人の日本への観光熱が高まっているため、残念ながら私には縁がありませんが、中国語で日本の情報を発信する媒体は活況のようです。
ライティングでは、どのような点について心掛けていますか。
ライティング自体は常に喜びで、難しい原稿でも書くこと自体が楽しいので苦になったことはありません。
ただ、仕事に夢中になり過ぎるとあれもこれもと欲が出てきますし、取材を伴うことがほとんどなので外出がちになり、家庭や子どもたちとのバランスが取れなくなってしまうため、その点で自分を抑えることが精神的に最も難しかった時期が長くありました。
今は独身時代の記憶も薄くなり、母親であることが当たり前になったせいか、翻訳の割合が増えているせいなのか、バランスがほどよくなってきて現状に満足しています。
また、それほど大きな問題ではありませんが、仕事が多い時ほど、高速で大量のページをこなせるのですが、間が空いた時に最初の1ページを書き終わるまでにものすごく時間がかかったりすることがあるので、時間と質のバランスを高く保ったスケジューリングが難しいと感じることもありました。
取材では、何が大切でしょうか。
インタビューを会話として楽しむこと。要点をしっかり押さえること。相手に対する興味と尊敬を示すこと。多少の気まずい場面もユーモアで切り返すこと。
このような基本は、どこの国の人が相手でも変わりません。
海外の取材で難しいと感じることは。
とくに海外では、アポさえとってしまえば、仕事はほぼ終わったようなものだと思います。
たとえばアポ入れの際に「電話をかけ直します」と言われて、実際にあちらからかかってきたことがイギリスでは一度もありませんでした。イギリスから日本に戻って仕事し始めたときに、かけ直すといって本当に電話がかかってきたときにはびっくりして感動してしまい、相手に逆に驚かれたほどです。そういう点では、香港人はかなり日本人に近いのですが、とにかく日本と比べてアバウトな人も多いし、日本で知名度のある出版物でも相手にとっては聞いたこともないものという場合がほとんどなので、アポイントを確実に押さえるまでの連絡にストレスがたまります。
また、中国語ができないため、時々非常に困る場面もありますが、周囲の方の協力を得て何とかこなしています。
取材記事のライティングでは、どのようなことに心掛けていますか。
限られた行数でも、ぎゅうぎゅう詰めにしたと感じさせないで、飽きさせず、楽しく、もっと読みたいと思ってもらえるように、なるべく多くの情報のエッセンスを的確に抽出しながら、ビジュアルも含めてバランスよく配置すること。タイトル、キャプション、見出し、本文などで情報や言い回しが絶対に重複しないように心がけています。
また、凝り性なので、だいたい取材をし過ぎて、その内容の半分くらいしか入れられないという状況に陥ります。文字量を涙ながらに削っている時、トンカチではみ出した文章を少しずつ叩いてへこませているイメージがいつも頭に浮かんできます。でも、自由に好きなだけ書けるときよりも凝縮されていい内容になっていることが多かったりもします。
さらに、旅行記事を書く時は、いつも一度頭を真っ白にして、心の中に自分がいた場所や風景を立体的に組み立て直し、そこで感じた空気や匂いや音を頭の中に再現するようにしています。
仕事を獲得するために、どのような工夫をしていますか。
とにかく一回ずつの仕事で良い結果を残すこと。特に人からの紹介で動くことが多い業界なので、「あの人なら安心して紹介できる」と思ってもらえることは大事です。香港での仕事が軌道にのったのも、イギリスでのクライアントからの紹介がきっかけでした。
今までの仕事も、ほとんどは人からの紹介です。とはいえ、もっと工夫や努力をして売り込んだりした方がいいのかなとも思っていて、それは常に課題になっています。
ライターでも翻訳者でも、フリーランスを長く続けていて思うのは、廃刊や担当者の移動・転職、会社自体が消滅するなど、クライアント側の変動が必ず数年に一度はあるので、一時的に居心地の良い安定した状態が続いても、そのまま永遠に保つのは無理だということです。
状況が良くも悪くも常に変化するのが自然の摂理なんだと、最近では開き直れるようになりました。
ライターとしての醍醐味とか面白さとは。
個人的には絶対に会って話してもらう機会のない人や、興味のある内容に関する第一人者と、一対一でじっくり話をしたり、教えてもらえたりすること、また、人間的に素晴しく、刺激的な人達と会う機会が多く、良い影響を受けられることです。
妥協せず選び抜いて苦労してアポを取った取材先をカメラマンと一緒に歩き回って撮影してもらった美しい写真を、悩んだ末に組み合わせて構成し、そこに練りに練った自分の文章が絶妙に溶け合って、一体感のある見開きが完成された時、頑張って良かったと思います。
また、後で自分の書いたものを読んで、「へーそうなんだ」などと思ってから、「あ、これ自分で書いたんだ」と気がつくことが時々あります。
文章を書いているときに、頭が真っ白になっていることがあって、これも後で「あれ、こんなこと書いたっけ」と原稿を見て驚いたりします。これが起きた時は原稿の出来もよいから不思議です。
それから、新しい土地に来ても、その土地の文化について学ぶスピードが非常に速くなることがあります。
例えば新しい国であるレストランの取材をすれば、代表料理を試して、味や素材、調理法、ポリシーに関する細かい質問をシェフに直接でき、その店の肝の部分と文化的な背景を短時間で学ぶことができるなど、本来なら何年もかかることを短期間に深く知ることができます。
翻訳者とライターの相乗効果について、どのようにお考えですか。
どちらかが減ってもどちらかが増えたりするので、仕事の増減の波にとらわれにくく、景気の変動に左右されにくいです。
どちらかの仕事で得た知識や人脈が、もう一方の仕事で生かせます。
たとえば、取材に行った先で翻訳を頼まれるというケースが随分増えました。最近では、あるファッションブランドのプレスリリースを訳していて、独特の思い込みの激しい文体ではあるのですが、自分がかつてファッションページを担当していた時に、同じようなノリの原稿を書いていた経験があるため著者の意図を理解することができて、うまく訳すことができました。
ライターとして取材して日本語で原稿を執筆して、それを自分で英語に翻訳して英語版も作成するという仕事も時々受けています。とにかく著者が自分なわけですから、著者の意図を理解するという翻訳作業の大変さがほとんどなくなります。
また、出版レベルの文章や原稿というものを体で知っていることも挙げられます。用語や文体の統一、体裁にも細かく目が行き届く点は評価していだいています。
さらに、編集・ライター業で身につけた調査能力は、翻訳での資料検索にも役立っています。
実は、駆け出しの頃は「兼業していることが、ライティングの邪魔になっている」と思い込んでいた時期がありました。
ライティングでは女性誌の記事を書いているのに、翻訳ではコンピューターのマニュアルばかりやっていた時期で、あまりに内容や文体やクライアントの要求事項が乖離していたために、「翻訳やっていると文章が下手になる」などと悩んでいたり、これしかないと思えばもっと頑張れるはずなのに「あちらもあるんだし、こちらはこの程度でいい」と両方で妥協しているような気もしていたのです。
たぶんその頃は執筆も翻訳もキャリアが短かったため、「元SE」という肩書きなしに翻訳の仕事を探す自信がなかったのだと今では思います。それなりに経験を積み、翻訳も執筆も内容が重なるようになった今では、相乗効果がとても大きいと感じています。
理想とする翻訳者像やライター像は。
流れに任せて、その時自分ができることの中から選択したことを最大限に努力するという状況が続いたので、あまり理想像について考えたことがありません。
まさか今のような状態になっていようとは、日本で編集者をしていたときにはまったく想像もできませんでした。ただ、常に優雅に趣味的にではなくて、細々でも仕事として泥臭くやっていたいとは思います。
また、せっかくフリーランスであることを生かして、もっと自発的にテーマを追う姿勢も築いていきたいです。下の子どもが7歳なので、あと5~6年して手がすっかり離れたら、またかつてのように思いっきり仕事だけに没頭できる日が来るのかなと楽しみにしています。
今後、どのような記事を書いてみたいですか。
観光局の資料を要約して観光地を紹介するような記事ではなく、歴史やそこで生きてきた人達の姿を深く探りながらも、美しい写真と読みやすい文章で、その土地の魅力を空気感までも含めて表現したような丁寧な旅行記事を、たくさん書いてみたいと思います。できたら、それを一冊の本にしてみたいです。
かつては欧米かぶれでしたが、香港に来てから、中国文化の奥の深さにどんどん魅せられてきています。できればいつの日か中国語を習得して、もっと深い取材ができるようになりたいです。
また、今後は創作にも手を出してみたいという欲も生まれています。年をとってから新しいこと、経験のないことを今さら手がけるのには覚悟が入りますが、怖がらずにチャレンジしてみるつもりです。
将来の永住先はどちらでしょう。
末の子どもが高校に入るまでは香港にいる予定です。
その後は、イギリスかもしれませんが、最終的には日本に戻ると思います。
甲斐美也子 かいみやこ Kai Miyako
編集者 翻訳者 ライター
1965年東京生まれ。
青山学院大学英米文学部英文科卒業後、コンピューター会社のSEとして5年勤務。
その後、出版社に転職して女性誌の編集者となり、健康、美容、ファッション、映画など幅広い分野の記事を手がける。
結婚後、ノルウェー、スイス、イギリスで計7年間、翻訳業とライター業をフリーランスで行う。日本に帰国後は、再び女性誌の編集部で勤務。
2006年から香港在住、再びフリーランスとして香港・マカオに関する記事の執筆と各種翻訳を手がける。
文章力とビジュアルセンス、コミュニケーション能力、調査能力が武器。香港では広東料理と中国茶が大のお気に入り。
最近の寄稿は『ぴあTravel マカオ2010』『ぴあTravel 香港2010』の特集記事。
英国籍の夫と3人の子どもとの5人家族。
interviewed by WASEDABOOK

